お姉ちゃんだからだよ

妹がペーパードライバー講習を受けた後、先月に1回と昨日、タイムズのカーシェアで借りた車で運転練習に付き合った。
1回目はエンジンの入れ方もよく分からない風で、駐車場からの出方も不安だったし、バックで駐車するのもうまく出来ず心配だった。
2回目は運転にも慣れたようで、駐車場からもすんなり出れたし、ガソリンスタンドで給油も出来たし、駐車も上手くなっていた。
次からは自分一人で運転するつもりらしい。頑張ってほしい。

正直、練習に付き合うのはちょっと怖かった。
多分運転している方はそうでもないんだろうけど、助手席に乗って見守る方が不安が強くなるんだと思う。

妹からは「お姉ちゃんなんでこんなに練習に付き合ってくれるの」と言われた。
その時は「車の運転できるようになってほしいからだよ」と言ったけど、正確にはそうじゃない。
「お姉ちゃんだから」なのだ。
私は妹たちの姉なので、妹たちの面倒を見なければならないということが身に染み付いているのだと思う。

鬼滅の刃』を読んだことはないんだけれど、主人公に「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」というセリフがあるのは知っている。
読んでいないから我慢するものが何なのかわからないのだけど、第一子で長女の私にとっては、このセリフはなぜか納得するところがある。
とにかく下の兄弟が我慢出来ないものも我慢しないといけないのが上の兄弟で、下の兄弟の面倒を見なければならないのも上の兄弟で、特に第一子として生まれた子なんだと思う。

私は三姉妹の長女で男兄弟はいない。
結婚するときは父親がすごく面倒で、夫に姓を変えてもらった上に婿養子になってもらった。
妹は特に面倒なこともなく結婚して旦那さんの姓になった。
つまり今後、親とボロい実家とどこにあるんだかわからない田んぼや畑の面倒を見るのは私なのだ。

第一子の長男長女って面倒だなと思う。
そういう星の元に生まれてしまったのでどうしようもないけれど、きっと妹や他の人から見たら、私は面倒見がよく見えるのだろう。

映画『モエカレはオレンジ色』を観た

movies.shochiku.co.jp

先週の話だけれど、『モエカレはオレンジ色』を観た。たぶんネタバレはない。

生見愛瑠さんが好きなので、映画の情報が公開されてから、劇場公開されたら見ようと思っていた。
先日『メタモルフォーゼの縁側』を観て、さっさと観ておけばよかったと後悔したので、今回は公開開始一週間以内に観に行ってきた。

学校の避難訓練で萌衣(生見愛瑠)が蛯原(岩本照)に出会うところから始まって、最初は萌衣のモノローグなどはなんとなくコメディタッチに思えた。
それは徐々に気にならなくなって、蛯原×萌衣が可愛く思えてくる。
蛯原が誕生日プレゼントに好きな色を聞いてぬいぐるみ買うところが可愛かったし、落ちてたイヤリングを見て悶えるのも可愛かった。

作中ではやたら大きな事件が起こるけれど、消防士というテーマ的にはそうなるよな、と思った。
キャストにアイドル的な活動をしている人をたくさん使っている映画だと思ったけれど、それなりに話はしっかりしているし、楽しめた。
エンディングとエンディングテーマがきれいに合っているのが良かったと思う。

主演は岩本照さんということになっているけれど、話の主人公は生見愛瑠さん演じる萌衣だと思った。

岩本照さんはジャニーズなのに身体も身体能力もすごいなと思った。顔もジャニーズっぽいイメージでない。韓国アイドルっぽいかっこよさがある。
Snow Man、ミリしらだったけれど、ちょっと興味が出ていくつか動画を見た。

いかにもなアイドル映画も悪くないですね。

映画『メタモルフォーゼの縁側』を観た

公開開始からだいぶ経ってしまったけど『メタモルフォーゼの縁側』を観た。
多分ネタバレはない。
metamor-movie.jp

結論から書くと、早く観なかったことを後悔するくらい良い映画だった。
もっと早く観て周りに布教したいくらい良い映画だった。
「良い映画」という言葉では表せないくらい本当に良い映画だった。

観る前は単に、芦田愛菜ちゃんが出演している「BL好きの女子高校生とおばあさんの交流を描いた映画」だと思っていた。
でもこの映画はそんな簡単な話ではなくて、目標もなく鬱屈した学生生活を送っていた主人公(うらら)が、BL好きになったおばあさん(雪さん)との交流や、同級生との交流を経て、「情けない」自分から一歩抜け出した女の子になる話なのだ。

本当に主人公のうららの心の機微がよく表されていたと思う。
それにまさか、漫画を描いてコミティアに出ようとすると思わないじゃん。
漫画を描くことをやり遂げた一方で、情けなくて泣くうららの気持ちがよくわかった。
そしてうららが作った同人誌ではいかに雪さんとの交流がどれほど自分にとって素敵なものか、ということが描いてあったと思う。

「最高の一日だった」(だっけ?)という、交流のきっかけになった作中の漫画の言葉を、そのままうららと雪が言っていたのもよかった。

「メタモルフォーゼの縁側」というタイトルの意味は観る前はよくわからなかった。
「『縁側』で交流がある話」とは思っていたけれど「『メタモルフォーゼ』?」と思っていた。
でも映画を観た後ならよく分かる。うららは、雪さんとの交流で転身している。

最高の映画だった。この映画を観てよかった。

映画『恋は光』を観た

別アカウントのツイートで簡単に感想を書いたのだけれどブログにも感想を書く。
多分ネタバレはない。

happinet-phantom.com
先日友人と通話したら、漫画の『恋は光』をオススメされたのでKindleで買って読んだ。
原作の『恋は光』は「恋」というテーマが一貫された結末になっていたと思う。
その一方で報われないヒロインがいるのが少し悲しかった。

映画は漫画を一気読みした翌々日に気が向いて観に行った。
実写映画なので漫画とは結構違うところがあるし、実写にすると主人公と北代の喋り方がちょっとわざとらしくなる感じはあるんだけれど、なかなかにいい実写映画化になっていたと思う。

原作通り北代の髪型がコロコロ変わるのが可愛い。

この作品で一番人間らしいのは宿木さんだと思っている。映画ではその人間らしさと、今どきの大学生らしさが強調されていて、原作を読んだときよりそのキャラクター性が好きになった。

原作は7冊あるので、主人公と同じように「恋の光が見える」央の描写も多いのだけれど、映画での央の使い方が素晴らしいと思った。原作で出てきた「絵を描く」行為をうまく加工しつつ、重要なセリフなどをしっかり使いながら、映画という2時間の枠に合わせられていた。

結末が漫画と違って、おかげで原作の結末で少し悲しいと感じたことが報われるのだけれど、この物語は片方が報われればもう片方が報われないので少なからず切なさが残る。
最後にノートを読む東雲さんの涙が美しかった。

『恋は光』という少し意味深なタイトルを最後のセリフで使うのは今どきの邦画〜! って感じはある。
でもしっかりタイトルの意味を昇華していていいと思った。

とてもいい映画だと思うのだけれど、上映館が少なく知名度もあまりないので残念ではある。
というわけで少しでも多くの人に見てもらいたいので感想を書いた次第でした。

梅雨が明けて鬱があけた

「鬱があける」っていう言い方が正しいのかわからないけど、うつ状態が終了したとみられる。

朝起きれるようになったし、外に出るのにものすごいエネルギーが必要ではなくなったので買い物にも行けるようになった。
家事は何も出来なかったけれど、出来るようになった。
食欲が復活した。
日中ベッドで長時間寝なくなった。
とにかくうつ状態のときに出来なかったことが出来るようになった。

この1ヶ月で新しい薬を試して、やめて、結局今まで飲んでいた薬を増やした。

ここ1週間くらいは、作業療法になるかもしれないと、久々にコスプレ衣装を作った。
もしかしたらこれが良かったのかもしれない。
ミシンをガーッと動かすのは爽快だし、考えながらもくもくと指先を動かす作業は楽しい。
久々すぎて間違えることもあったけれどなんとかコスプレ衣装は完成した。

コスプレ衣装を作り始めると同時に本と漫画が読めるようになった。
桐野夏生の『路上のX』と、同人小説と、人に勧められて秋★枝の『恋は光』という漫画を読んだ。
漫画を最初から最後まで通しで読んだのは久々かもしれない。少し自信になった。

コスプレ衣装作成は終わってしまったので次に何をするか考えているのだけれど、あまりストレスなく出来ることをやろうと思っている。
本を読むとか映画を見るとかそのくらいかもしれないけれど、多分いきなり動くとまた軽躁になるので少しずつ動き始めたい。

うつ状態のくせに文章だけは書ける

今信じられないくらいうつのまっただ中で、毎日7時間以上の睡眠をとっているのに日中も3時間くらい寝ているし、家から出れなくなった。
家事もほとんどできない。
1年間ほぼ毎日継続できていたラジオ英会話も出来ていない。
四六時中「死にたい」とか「8月が終わったら死にたい」とか言っている。

今までの私はここまでのうつ状態を経験した記憶がない。
というのも、双極性障害の薬を飲む前までは抗うつ剤を飲んでいて、ずっと軽躁状態だったからと考えられる。

しかしそんなうつ状態でも好きなことは出来てしまうのである。
考えたことを整理して文章にしてアウトプットすることは、私にとってあまりストレスがないのでうつ状態でも出来る。
日中いつも孤独なので、家族以外の人と通話して馬鹿話することもできる。

昨日友達とチャットしていて気づいたことがある。
今の私はうつのどん底なので100点満点の1点〜5点くらいだ。
普通の人は通常50点前後で小さい波があって、受験に合格したとか、就職が決まったとか、結婚したとか、子どもが生まれたとかそういうタイミングでごくまれに100点を記録すると考えられる。

でも今までの私は50点が基準でなくて、飲んでいた抗うつ剤のせいもあり70点が基準だったし、変なところで100点を記録しすぎている。
100点の具体例を挙げれば、ディベートと作文のAO入試で大学受験に合格するとか、大学の卒論で学部最優秀賞を取ってしまうとか、書いた小説同人誌が大ウケするとか、プログラミングをやったらハマってしまってそのまま資格試験に合格するとか、一日6時間も勉強するとかだ。

大体、100点を取ってしまうのは「文章を書くこと」か「躁状態」が影響している。
100点満点を変なところで記録しすぎていて、現状の1〜5点のうつ状態が死ぬほど辛い。

多分Twitterやチャットでの私はあまりうつ状態に見えていない。
それは前述の通り、うつ状態でも文章を書くことはストレスなくできるからだ。

今の私は、うつ状態の中でも、少しでも体裁よく見せれるように文章を書いているのかもしれない。

読書と知恵の実

4月に鈴木涼美さんの新刊発売記念トークイベントに行ったときからずっと考えていた内容を書く。

トークイベントの中で、成宮アイコさんから「読書をする男と読書をしない男を比べると、読書をしない男のほうが優しい」という話題が出たのをとても印象深く覚えている。

「読書をする男と読書をしない男を比べると、読書をしない男のほうが優しい」、これは自分の人生を振り返ってみるとなんとなく体感として正しい気がする。

読書にも色々あって、読む対象は小説だったり実用書だったり自己啓発書だったりするんだろうけど、何を読んでも、人は読んだものから他人の意見と、それに対する自分の意見を思いついて、あーだこーだと考えて、それを積み重ねることで「教養を身につける」んだと思っている。

一般に、読書するのは良いことだと言われていて、「悪いこと」とされるのは現代ではあまり聞かない。
そのせいかイベントで仲俣暁生さんが「読書によって得るものもあるけれど、失うものもあるよね」と言っていたのがものすごく心に残った。

教養を身につけた先にあるものは何か?
それは自分の生活がしやすくなったり、それまでの考え方を変えたり、プラスの働きがほとんどなんだろうけど、トークイベントでその話題を聞いて、もしかしたら「教養を身につけた自分」が他者より優れていると勘違いする「おごり」が発生してしまうのかもしれないとも思った。
これが「読書をする男より読書をしない男のほうが優しい」と感じる原因のような気がする。

今までの自分を振り返ると、読書なり学問なりよって「教養を身につけたことでおごった自分」だったことは絶対にあるし、その一方で、作家が書いた読書についての本を読んで「なんて自分は本を読んでないだろう、教養がないんだろう」と思ったことも何度もある。

そういえば旧約聖書でアダムとイブが楽園を追放されたのは知識の実を食べたからだよね、みたいなことを思いついて、検索して旧約聖書の創世記のごく最初の方を読んでみた。
人と女(アダムとイブ)は「善悪を知る実」を食べて、裸でいることが恥ずかしいと気づいて、いちじくの葉を集めて腰に巻いた、とあった。
「善悪を知った=教養を身につけた」ことによって「楽園を追放される=失う」わけだから、今私がここに書きながら考えていることは、太古の昔から考えている人がいるらしい。

もちろん読書や学問で教養を得ることは悪いことでは無いと思う。
でも「自分が教養を得たという認識」によって、他者に対し「おごる」ことのないように、謙虚に生きたいなあと思った。