中森弘樹『「死にたい」とつぶやく』を読んだ

Twitterを見ていたらこのツイートが流れてきて、気になったので買って読んだ。
近所の大型書店の新刊書籍コーナーにあるかと思ったら、学術書の新刊コーナーにあった。なのでちょっと難しいんだろうなと思いつつ読み始めたら、やはり論文を読んでいるみたいだった。
でもなんとか最後まで読み切れたのは、自分が「死にたい」とつぶやいてしまう当事者だからだろう。

私は覚えている限りではインターネットに死にたいと書いたことはないし、自分の持病である双極性障害についてもなるべくこのブログにしか書かないようにしている。
しかし、声に出して「死にたい」と言ってしまうことは多々あり、夫からは「その言葉を出されるたびに私が苦しむ」と言われている。だから一人でいるときにしか「死にたい」と言わないようにしているし、口に出してしまったら「死にたくない!」とすぐ言い直すようにしている。

この本は座間9人殺害事件が引き起こされる一因となった、「死にたい」という言葉を含むTwitterのツイートに付いてかなり深掘りしてある。
また、「死にたい」という言葉の背景にはどのようなものがあるか、その言葉を発する者が現実に死なないようにする方法の一つとしての「シェアハウス」、そして親密圏(についてはものすごくたくさん書いてあるけれど、わかりやすいものを書き記せば、家族・友人など)における「死にたい」への対処法として、その言葉を「〈リテラル〉に捉える」こと、について書いてあった。

この本を読んでまず思ったのは、私も口に出してしまう「死にたい」という言葉にはどんな背景があるのかを、詳細に分析して言語化してあるということだ。私が無意識に口に出してしまうその言葉にはそんな背景があったんだなと再認識することになった。「死にたい」ってちょっとずるい言葉だなとも思った。

また、この本の結論である、「死にたい」という言葉に対して脆弱な親密圏で、「死にたい」という言葉をリテラルに捉える(文字通り捉える)ことが有効なのではないかという点については、腑に落ちる内容だった。
「死にたい」と言ったら「そんなこと言っちゃだめだよ」とか「悲しくなるからやめて」などの返事をもらうよりも、「そうか」とだけ言われた上で少し気にかけてもらえればいいし、そうしてもらうほうが今後の私と相手のコミュニケーションに難が出ない気がする。

この本が「半分は『死にたい』と言動する者たちに向けて書かれているのだが」とp261-262に書いてあってちょっとびっくりした。本の値段以外は学術書だし、多分「死にたい」と言動する精神状態の人でこの本を最後まで読める人はあまりいないと思う。
なので、「死にたい」と言動するような人がピンポイントで読むのならば、序論とp78~p182あたりかなと思った。